例年の暖冬に比べて今年は寒くなるといわれた冬だが、12月になってもまだまだ体の芯まで冷え込む日は少なく、アウターも秋のままで過ごしていて差し支えがない。特に今日は、柔らかい日差しが店内に差し込み、秋を思わせる陽気だ。岡山市の北部にある私達の店は、今日が新規オープンの良き日となる。店は平屋の店舗付き住宅で、北の山間部に向かう道沿いにある。かなり以前からお互いにシンプルな建物、というざっくりした共通認識があり、形は必然的に長方体というところに落ち着いた。建物の向かって左手が住居スペース、右手に小ぢんまりとした店舗スペースが引っ付いている。建物全体は焼き板の外壁がベースとなり全体に統一感を与えている。かなりのコストアップだったが、相棒がこれだけは譲れないと一歩も引かなかったいわく付きの外壁だ。各々のスペースは建物の内部で打ちっぱなしのコンクリートの土間によって分割されている。土間の幅は1メートル半ほどあり、住居スペースの玄関を開けるとこの土間につながるよう設計してもらった。真っ直ぐな土間の左右にそれぞれのスペースにつながる引き戸があり、行き来できるような作りとなっている。土間から30センチほど上がったところが各スペースの床面となり、狭いこあがりを設けてある。


昨夜は、相棒と2人で祝杯がてら岡山市内の行きつけのトラットリアに出向いた。ほろ酔い気分で家に帰ってからは、最近は11時になると寝てしまう相棒も昨夜は1時くらいまで、ダラダラと家呑みに付き合ってくれた。具体的に会社を辞める決意をして、家族にそれを伝えたのが1年前。そこから退職後は、ゆっくりする暇もなかった。そもそも無職なので常にお金の心配ばかりしていたのだが、仕入れルートの開拓の為の交通費や仕入れ先への支払い、店舗用の建物の改築費、内装費の都合、開業の手続きなどかなりタイトな資金繰りとスケジュールになった。相棒はギリギリまで会社に勤めてくれたので、家計の面では随分と助けられた。そんなお互いの労いの意味もあり、昨日はついつい羽目を外してしまったのだが、朝からこめかみ辺りがシクシクと疼く。時間は昼の11時半、相棒はレジカウンター内の丸椅子に腰掛けて、チラチラと腕時計をうかがっている。私は、なんだかソワソワしてきて、店内の売り物の本を並べ直したり、平台のシャツをたたみ直したりしながら時間を潰す。こういう時の気の小さいところは昔からのコンプレックスである。いよいよやる事もなくなり私は、着用しているグレーのカーディガンのボタンをいじくりながら店内をウロウロするだけになった。今まで座っていた相棒も、さすがに落ち着かなくなったのか、雑貨スペースの皿をクロスでカチャカチャ拭き始める。やはり、2人とも気が小さいことを再確認する。


相棒=私の妻なのだが、面白い経歴を持っている。彼女は、音楽大学を経てサックス奏者として活動してきた。楽団に所属しながら同期の演奏者とミニライブを開催し、また中高の吹奏楽部にも臨時講師として、呼ばれて後進の指導にも力を入れていた。相棒と出会ったタイミングは、彼女が大手の音楽教室で正式な講師として働いていた頃だった。当時勤めていたアパレル会社の先輩の彼女から紹介という形で相棒と出会うことになる。ファーストコンタクトで緊張していて、何をしゃべったのかも記憶が定かでない。相棒いわく、ポテサラに醤油をかける、かけないなどと、実のない話を繰り返していたらしい。ただ、お互いの印象は悪くなかったのかそこから、一年ほどで相棒と結婚することになった。結婚から三年で長女を授かり、さらにその三年後に長男が生まれた。そして、長く音楽業界に身を置いてきた相棒は、引退することになる。相棒は音楽の仕事を続けていくだろうと思っていたので本人から聞いたときには少し驚いた。音楽業界は非常に狭く、つながりやコネなどかなり複雑な人間関係が必要とされるらしい。相棒としては、家族を犠牲にして音楽で身を立てることに疑問を覚えたことや、独り身で全ての生活を音楽に傾けている同僚達に引け目を感じてしまうことが辛かったようだ。音楽教室で生徒にレッスンすることについても、中途半端な自分が教えることが生徒に失礼なのでは、と考えてしまったらしい。この辺りのことについては、はっきりと相棒から聞いた訳ではないので推測の域を出ない。スポーツのプロ選手が引き際を自分で決める感覚に近いのでは、と勝手に解釈して相棒の思うようにしてもらった。数年後、育児が落ち着いたタイミングで相棒は、当時私の勤めていた会社に販売員として就職することになる。前職の講師というスキルは、販売員として大いに活かされ、身内ながら社内でも評価が高い人材となった。私は、以前から相棒のセンスの良さや独特な感性がファッション業界に向いていると考えていたので、勧誘の甲斐があったと自画自賛している。いずれは、独立開業を目指していた私にとって、最も強力な支援者が相棒だったことは言うまでもない。

私が、学校を卒業して岡山に越してきたのが25年前。アパレル業界に転職してから22年が経つ。いずれは独立開業したいという希望は、業界に携わる者としては至極当然の小さな夢である。しかしながら、その夢を実現することなく業界を去る人、組織に組み込まれて身動きができなくなる人が大多数であることも事実だ。私自身も、一時期は会社の中での評価や出世に目を向けていた時期があった。しかし、会社の中枢で仕事をする機会が増えれば増えるほど、説明しにくい違和感が強くなっていき、ついに会社に行くことを放棄してしまうことになった。いわゆる鬱状態で一年弱の間、会社に行けない日々が続くことになる。その期間は今でも記憶があやふやだが自問自答しながら、毎日過ごしていたように思う。当時は、とにかく何もやる気になれず相棒と朝の散歩をする以外には家の中で過ごすことが多く、会社に復帰をしていくのか、これを機に違う仕事をしていくのかを悶々と考える毎日だった。ある日の散歩のときに相棒が不意に、
「とりあえず会社を辞める為に、会社に復帰するのはどうかな。」
と、言ったことを今でもはっきりと記憶している。相棒としては、クヨクヨと悩む私に何か目的を与えて、社会復帰をさせようとしていたのだと思う。妙にその言葉が腑に落ちて、その日からは、職場への復帰に向けて前向きに考えることができるようになった。よくよく考えたら、辞める為に復帰しろなんて、割とメチャクチャな発言だなと今になって思い出す。
一年後、会社に復帰した時には今までよりも、立場や出世について考えなくなったことに気づいた。代わりに独立して店の経営をしたいという夢が再び大きくなってきた。無理矢理、参加していた会社の飲み会も断るようになり、残業も減らして自分のスキルアップに時間を取るようになって、ようやく重たい足枷が取れたような気分になったことをはっきりと覚えている。

相棒が、腕時計を見ながらつぶやく。
「そろそろかな…。」
時計は昼の12時を指している。
「だね。」
私が短く応える。相棒が店の出入り口にあるスチールの枠にガラスをはめ込んだ引き戸の下部にあるカギを開ける。
「今まで、ありがとう。今日からまたよろしくお願いします。」
私なりのそっけない感謝の気持ちを一応、言葉にしてみる。相棒も、
「こちらこそよろしくお願いします。」
ふわりと笑いながら応え、白いセーターの腕を軽くたくし上げる。
いよいよ、私達の店「boutiqueloisir」が開店した。

